学問ってなんだろう?
「勉強つまんない」「なんのために数学やってるの」とか思ったことありますか?私はあります。今日は「なんのために○○やってるの」疑問を解決すべく自分なりに考えてみました。
「数学」
そもそも数字というのは何に使うでしょう?
「テストの点数が90点」「敷地面積100m^2」「最高気温23℃」
こうしてみると数字は何かを比較するときの手段として使われます。それも大きい小さいなど漠然としたものでなく、より定量的な表現です。
そう考えると、「数字は絶対的な比較指標」といえます。
数学というものは数字を扱うものです。ときには物理や化学の中でも用いられます。演算を行うことで、最終的にある値を得ます。数学においては、異なる手法で演算を行っても答えとなる値の出方は一通りです。
このように考えると、数学は「絶対的な比較指標を用いて、物事を詳細に検討する学問」であると言えるでしょう。
もう少し考えると、数字が文字という意味で日本語や英語と一緒とする、つまり「2」と「い」は等価であり、数字による表現が日本語の文章と等価とします。通常の言語は現実世界を切り取ったものなので「緑」といっても信号の青が緑という人、葉っぱが緑という人様々で、どこからどこまでが緑というかはっきりしません。「優しい」という言葉も場合によってさす対象が変わりますし、人によって捉え方が違います。
通常の言語は境界が曖昧ですが、数字は境界がはっきりして一意性があります。
そうすると、数学は一般に存在する言語と異なり「曖昧性を排除した言語である」とも言えます。
「国語」
まずは一つは言語の習得でしょう。
「読む」「書く」「話す」「聞く」において日本語を使えるようにする。
その上で、日本語の文章を読んだ上で何か考えたり感情を把握したりします。物語文においてこの行動をとった理由は何かとか、この論説文は何が言いたいかなどを考えさせます。
まとめると、国語は「言語を使いこなし、論理的思考力を養う学問」と言えます。
「物理」
比較的わかりやすいと思います。世の中の物理現象に成り立つ法則を学び、それを使ってある時刻での物質の状態を導きます。ボールを投げたらどこに着地するか、などですね。
物理では詳細な検討をするため数学を用います。「10秒後にはこの辺りにある」ではなく「10秒後に座標(10.2, 3.0)にある」というような情報を知りたいからです。
物理は「ある時刻や状態における物質状態の予測をする学問」であると言えます。
「化学」
化学は物質を分解して考えます。大きなモノとして考えず、原子、分子レベルに分解して考えます。それは、目に見える形では理解できない物質の変化を理解するためです。簡単に言うとホッカイロがあったかくなる理由を知りたいのです。
またある現象を解明すればそれを応用して、自然には存在しない驚くべき物質を作ることができます。それがコカコーラゼロなどに含まれるアセスルファムKなどです。1滴でめちゃくちゃ甘い物質を作り出しました。
化学は「ミクロな視点での諸現象の解明し、新たな物質を作り出す学問」と言えます。
「歴史」
歴史は上手く納得がいきませんでしたが、こんなことだと思います。
歴史を学ぶと言うことは、現在だけでなく過去を知るということです。これを一人の人間に置き換えると、過去を探るということです。もし歴史を学ばないと、記憶喪失したのと同じようなもので、もちろん生きてはいけますが見える世界が違ってくると思います。
もう一つの例で言えば、引き継ぎ資料みたいなものです。引き続き資料なしであることをするより、引き続き資料があった方がなにかと便利ですよね。
これをもう少し考えると、引き続き資料は今どうすべきか決めるための材料になるもので、歴史は材料を用いて今どうすべきか考えるものであり、また引き継ぎ資料をより良いものにする、つまりその材料をより正しく理解できるようにするものです。
よって歴史は「過去との比較により現代の検討をする、あるいは現代の検討をするために必要な過去を理解する学問」と言えます。
今日の考察
「数学」
曖昧性を排除した言語であり、絶対的な比較指標を用いて、物事を詳細に検討する学問
「国語」
言語を使いこなし、論理的思考力を養う学問
「物理」
ある時刻や状態における物質状態の予測をする学問
「化学」
ミクロな視点での諸現象の解明し、新たな物質を作り出す学問
「歴史」
過去との比較により現代の検討をする、あるいは現代の検討をするために必要な過去を理解する学問